あいまいなこと
日本人の行動様式や考え方が、自分たちと異なるとして、外国人
の人から批評を受けることがよくあります。
代表的な例として挙げるとすれば、日本人のあいまいさに
対する批評だと思います。
そのことを指摘されると、我々日本人の中からも言われる主張
があります。
例えば、以心伝心とか阿吽の呼吸とかいうのは、日本人にしか
通用しないものである、とかイエスとノーがはっきりと言えない
から外国人に誤解されるのである、などの反応が決まって
起きてきます。
日本人の中には、本当にそのように感じている人が
思ったよりも少なくありません。
でも、日本人のあいまいさは、ヨーロッパ人やアメリカ人から
指摘されるような、いわゆる欠点なのでしょうか?
結局のところ、そういった欠点をしかたなく受け止めて、
劣等意識を持たなければならないのでしょうか?
私的には、そんな風には考えていません。
彼ら、ヨーロッパ人やアメリカ人たちが言うあいまいさ
こそが、日本人特有の天性であるに違いないからです。
それから、
大げさに言えば、人類文明の発展と存続のために大いに
役に立つものであるとも思うからです。
このあいまいさを、ある意味大切にしたいですね。
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極端な生き方
自分のことしか考えていない人は、何を見ても都合よく自分の
ものにしたくなるものです。
快適な暮らしを支えるものは、すべて手放そうとはすることは
ありません。
それに、どんなささいなことでも人に譲ることはありません。
人のためにだけ、あるいは自分のためにだけ生きるということは、
どちらにしても愚かな生き方で、辛い生活を送ることになりますね。
ただ、自分の幸せのみを頼みとして、言いようのない安心感に
浸かっているのです。
こういう人は、人に好かれるわけがありません。
ときによっては、人のためにだけ尽くしてみるのがよいでしょう。
そうすれば、人も親切にしてくれるものですー。
また、色々な人の中には、ただひたすら人のためにだけ生きて
いる人もいます。
例えば、愚か者は、行き過ぎたことをする傾向にありますが、
行き過ぎも不幸としかいいようがないと思いますね。
この種の人には、一時間どころか一分たりとも自分の時間がない
ものです。
そうやって、ひたむきに人のために奉仕をしているのですね。
あなたは、どちらの生き方をえらびますか?
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人を評価する
人は、何とかして自分も認められたいと思うものですね。
それには、人の良いところを見つけてほめることです。
そうすれば、目が高く、趣味の良い人だという評価を受けるよう
になるでしょう。
他の人の良い面が分かると、別の人の同様の美点にもすぐに
気がつくようになるものです。
このようにして、目を肥やして、人の良いところを見逃さない
ようにしていくことです。
人をほめるということは、格好の話題にもなりますし、その場に
いてその話を聞かされた者は、自分も真似てみようかという考えに
なるものです。
人が集まった場所でそういった話をすれば、その場に同席していた
人は、自分を省みて間違った行いを正そうとするものですね。
これは、人々に礼儀をうながすのには、手際の良いやりかたですー。
中には、それとはまったく反対のことをする者もいます。
その場所にいない人の陰口を言ったり、いつも人のあら探しを
したりして、同席者に関心を呼ぼうとする人です。
人の陰口を言う者は、別のところにいても同じような話を
しているものです。
そこでの陰口の標的になっているのが、自分ではないという
保証はありませんから。
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明確な目的地
目的地さえわかっていれば、途中経過の苦しみは、ずっと軽く
なるものですね。
例えば、マラソンの場合ですが、マラソンランナーは途中で、
どんなに苦しくなっても、なかなかあきらめようとしません。
それは、マラソンランナーは、42.195キロを走りきったら、そこに
ゴールがあることを知っているからです。
逆の場合で、目的地が不明でわかっていない時に、
いつになったら終わるのか?とか、いつまで走るのだろう?など
と思い続けながら走ることはとても苦しいことです。
仮に全く同じ距離を走ったとしても、目的地が不明でわかって
いない時の方が、はるかに心の心労度は、高いものになるでしょう。
人生もこういったレースに似ています。
今がんばることができるのは、人生の目標、希望、夢などの灯が
将来にわたって光り輝いているからこそにちがいありませんね。
希望が、心の中に輝いている人は、どんなにつらく見えるような
ことがあっても、楽観的でいることができます。
心の中に成功というゴールを、はっきりと描いておくことが、
大事でしょうね。
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希望をもった生活
人は、希望と共に生き、希望と共に老いる。
この言葉は、楽観的に生きる上での名言でしょう。
生きていく中で、希望を大切にしたいものですが、人生は、
希望があってこそきらめくのです。
希望こそが、人を成功へと連れていってくれるのです。
楽しいことばかりを考えて、日々を過ごせれる人は幸運ですね。
それに、行動が伴った場合、大きな夢を見る人、
楽しく考える人は、何れは、大きい成功をつかむようになります。
行動を伴った夢は、必ずかなうものだと信じて、それからは
楽観的に生きてみることが、大事だと思います。
その行動力さえ欠如しなければ、いつも夢のかなうことを
楽しく考えて、楽観してしまえばよいのです。
物事のとらえ方は、自分自身の考え方によるものでしょうね。
それを決定するのは、自分自身の他にはないものだと分かること
が必要です。
楽観思考が、日常の習慣になれば、必ず幸運が舞い込んでくる
ようになりますよー。
朝から晩まで考えている事、それがあなただ。という言葉がいわ
れています。
そういうことであれば、楽観的に考えた方がよいでしょう。
潜在意識と楽観との化学反応は、こうした卓越したパワーを
与えてくれるものです。
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暑さ寒さも彼岸まで
暑さ寒さも彼岸までと言いますが、残寒・残暑は彼岸のころまで
続き、彼岸をすぎるとやわらぐという意味をもっています。
その彼岸の期間は、春分の日つまり3月20日を中日として、
前後3日間を合わせた7日間が期間となります。
つまり、3月17日から3月23日を指すことになりますね。
皆さんは、いわゆるお彼岸をどのように過ごしているのでしょうか?
お彼岸には、全国のお寺やお墓にたくさんの人がお参りに行きます。
我々も祖父母や父母からその姿を伝えられてきましたが、
お彼岸に関する仏事は、平安時代から始められてきているようです。
彼岸という言葉の意味ですが、
我々の生きているこの世界を、此の岸というのに対して、
涅槃・浄土の世界であるあの世を、彼の岸として意味します。
此岸に生きている我々が、生老病死の迷いの世界から涅槃の悟り
の岸に至ることを願う仏事とされています。
ですから、お彼岸は、苦しみや悩みのない境地に至りたいと
願わずにはいられない我々人間のこころから生まれたといえます。
日常の懈怠を反省して、自分自身を深く見つめながら、
お彼岸を迎える大切さをあらためて、考えてみたいですね。
あわただしい生活の中でも、過去の亡き人をとおして自らを省みて
みることが必要でしょう。
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計画を立てる
日々なんだか固い話ばかりでしょうか?
今日は、毎日の生活で気になったことをお話します。
それは、計画のことですが、
一般的に計画を作成して、仕事の予定等を入れていくものだと思います。
でも、私は、あまりに長期的な仕事の計画は立てません。
つまり、明日は何が起こるか不明であるのに、今日やっている事がうまく
いくかどうか分からないうちに、計画を立てるというのは、
難しいと思います。
今の時点で、10数年先のことなんて見渡せるはずはないからです。
どうなるか見当もつかない将来を懸念するよりも、
今日を大事に生きることの方が、よほど大事であると言えます。
ですから、毎日を一生懸命に生きるようにと自分に言い聞かせています。
その姿勢が、きっと新たな明日を招いてくれることになるからです。
そして、一日一日の積み重なった結果が、10年後、15年後へと成果
となって跳ね返ってくるものです。
今日を努力して生き抜くことの延長上にのみ、正しく未来を
見通せることがあるのですー。
それと、
未来の変化が、どのようになるかも憶測できるようにもなりますね。
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