チキンラーメンとカップヌードル

終戦直後、大阪の梅田での焼け野原で、一杯のラーメンを求めて、

大勢の人たちが、長い行列をつくって並んでいました。

この時こそ「食足りて、世は安らか」という言葉を、

実感した人がいました。


また、GHQがパン食を推奨した広告について、

もともと日本には、めん食の伝統があるのに、どうしてめん食を

推薦しないのだろうか。と強く疑問を感じたことです。


この理由を厚生省に尋ねると、「めん業者は零細企業が多く、

供給面で問題があるからだ。立派なことをいうのなら、

自分でやってみせろ。」とつっぱねられたといいますー。


その後、この言葉を忘れずに、反骨精神を持って裏庭に建てた小屋で、

湯を注ぐだけで食べられる容易いラーメンを、作りはじめました~。


そして、1年後の1958年に「チキンラーメン」と名づけられた、

即席ラーメンが、完成しました。その制作者は、安藤百福氏であります。

販売を開始すると、またたく間に、日本全土にその名称が、

知れ渡っていきました。


イオニアとしての安藤氏のプライドは、1971年に次の商品である

カップヌードル」を誕生させているのです。


今や、世界商品となった日清食品カップヌードルは、

こうした経緯があったのですね~。

 


広告を押して申込 ↓

宜しくお願いします (^_^) 

 

今を生き抜く

時間の流れは、過去から現在未来と一般的に進んでいる

と思う人がほとんどだと思います。


たとえば、もし過去について、思いめぐらしているとそのことは、

いま考えているのですから、

その過去は今自分の中にあるということですね。


そして、未来について今考えているとすれば、それは未来

作りだしているということになります。

現在は、未来を意味するということです。


つまり、過去未来も、一緒に変化しているということですね。


信念や思考の日常の習慣的な行動によって、未来は、

自分の心の中に存在しているといえますー。


ある実業家の言葉ですが、

未来を恐れず、過去に執着せず、今を生きろ」

私の好きな言葉ですが、本当にその通りだと思います。


この一瞬にしか、全てはないという考えです。

今この現在、この瞬間が、過去になっていたり、

未来になっていたりする訳です。


ですから、未来設計図をいつも心に抱いて、それをたえず

見直すことがよいのでしょう。


その未来設計に修正を加えて、日々すごすことが大事だと思います。

その心の作業が、今日の時間と明日の時間に大いなる恵みと

恩恵をきっともたらしますよ~。

 

広告を押して申込↓

宜しくお願いします (^_^)

 

還暦の新人女流歌手

ある女流歌手が、歌手デビューを果たしました。

58歳で、歌手としてメジャーデビュー、いくら高齢化が進んだとは

いっても還暦の新人歌手というのは、特異な存在でしょうね。


「50代までに、目がでなかったとしても、それ以降に花咲く人もいる

が、私もその仲間だ」と言っているといいます。


人は、誰しも40代を過ぎると、そろそろ定年が見えてきます。

そうすると、無意識に自分の人生のまとめを、

はじめだすのだといいますねー。


「まだというものを、自分として経験していない」

ということを感じたのであれば、

ある女流歌手のようにならって、考えてみるのが良いかもしれません。


自分としては、どうかというと、「いまがである」と思うように

こころがけています。

若さと年齢を結びつけて考えるのは年にとらわれて、

いるからだと思います。


若い、若さとは、単に年齢だけを意味するのではないと思います。

現実には、80歳の若者もいれば、20歳の老人も存在しています。


結局のところ、若い生活をしている人は若く、

老いた生活をしている人は

老いているというのが、私の見解です~。

 

広告を押して申込↓

宜しくお願いします (^_^)

 

平成の経営の神様

まだ資本も経営ノウハウもない、一ベンチャー企業である

京セラが、1961年に、ある経営理念を固めました。

それは、

全従業員の物質両面の幸福を追求すると同時に、人類、

社会の進歩発展に貢献する。

という、稲盛和夫氏の発表した内容のものです。


これは、会社は個人のものではなくて公器である、という思いを

強く実感した結果、掲げたのだといわれます。


当時の世間の流れを受けて、従業員たちから、

「ボーナスの最低保障を約束して欲しい」との声があがったそうです。


その時に、稲盛氏は、

家族の一員としてやろう。これからは、労使ではなくて、

パートナーである。


と、従業員を説得したといわれます。

そして、これらを四文字熟語で意味したのが、「敬天愛人

というわけです。


この言葉は、稲盛氏の座右の銘と言われていますが、本来は、

西郷隆盛の言った言葉だとのことですー。

今も若手経営者などに、その精神の重要性を説いて回っているようです。


次に、1984年、稲盛氏は通信分野への参入をしました。

「動機善なりや、私心なかりしか」をモットーに邁進しました。

やがては、今のauとなる第二電電を立ち上げることになるのです。


現在は、仏門に入ったということですが、やるべき事をやった人には

最終的には、悟りの世界しかないのかもしれませんね~。


平成の経営の神様は、これからどんな方向にいくのでしょうか。

 

広告を押して申込 ↓

宜しくお願いします (^_^)

 

運がついてる人

何もやらず、あたまから「できるわけない」と、

決めてかかる発想が私は一番嫌いである

本田宗一郎氏の言葉です。


2006年ホンダが航空機業界へ、本格的に、

参入するというニュースが、世界中を驚かせましたね。


この年2006年は、本田氏の生誕100年、

という節目の年であります。


その後、10年後の2016年に、ホンダはFAA(米国連邦航空局)から、

ホンダジェット」の製造認定を取得しました。


それは、エンジンも機体も、自社製、自社開発という

ホンダのプライドと技術力を見せつけた飛行機でした。


人を中心とするホンダ流の発想により、

自ら技術を磨き上げ、従来にない価値の創造をめざしたのですー。


どんな分野でも成功する人間は、一様にがいいといわれますね。

本田氏も、人に会うたびに、俺はがいいんだ

と話していたようです。


自分が、なりない、こうありたい、と思い込むと

現実として、そういった事態が

やってくるものである、とも言っていたようですー。


人のというのは、健康や生命だけではないと思います。

モノや人との出会いこそが、

人生を、決めつける大きな要因なのかもしれません~。


人の、不運は、よく分かりません。

結局、がいい人は、成功するということらしいですね。

 

広告を押して申込↓

宜しくお願いします (^_^)

 

目標や計画の重要性

計画を立てて実行すれば、世の中に不可能なことは少ない

孫正義氏の言葉です。


若くして日本の経済界に、名乗りを上げた孫氏には、

ある人の計画を参考にしていました。

それは、

尾張のうつけといわれた、織田信長計画であります。


天下統一を目標にした、

長期作戦計画というものを作っていた、という話があります。


実業家になろうと、

決心した19歳の時に作成した、「人生50年計画」というものです。


それは、


①20代で、名乗りを上げる

②30代で、軍資金を1千億円貯める

③40代で、勝負をかける

④50代で、事業を完成させる(売上1兆円)

⑤60代で、次の世代に事業を継承する


という内容です。


いかなることでも、

計画通りに物事を進行させるのは、

容易いことではないでしょう。


見たところ、とても実現できそうもない

単なる夢に過ぎないと思えますが―。


しかし、

天才事業家といわれる孫氏には、

この「人生50年計画」があったからこそ、

現在、ここまでやってこれたのでしょうね。


目標計画が明白にないと、

すべては、成就しないと思います~。


それよりも、何より驚くことには、

この桁違いの事業計画を、その通りに、

やってきていることだと思います。


まずは、

目標計画がいかに大切かということですね―。

 

広告を押して申込↓

宜しくお願いします (^_^)

 

日本の歴史の疑問

歴史の番組で聞いたことですが、

日本の歴史の中で、

3つのがあるということです。


それは、

本能寺の変

桜田門外の変

桶狭間の戦い

以上の3つですが、


初めに、

本能寺の変について、

どうやら家康が、

信長を討とうとしていたらしいということです。

本能寺に向かった一般の浪士たちは、

どこへ行くのかさえ分かっていなかった、ということです。


そんな状況だということですが、

果たしてどうでしょうか?


次に、

桜田門外の変について、

井伊直弼は、

刀で切られていなかった、ということらしいです。

籠の中で、切られたという定説は、

違うということですね―。


じゃあ、何が原因で死んだんか、ということですが、

どうやら、拳銃らしいです。


弾丸は、太ももに命中し、貫通して

身動きができなくなった、ということです。


その後、籠の中から出されて、

バッサリやられた、ということらしいです。


最後に、

桶狭間の戦いについて、

信長軍は、3,000人であり、今川軍が45,000人であるというのは、

間違いではないか、ということです。


諸説あるようですが、

実際は、信長軍は、15,000人であり、今川軍は15,000人であった

ということらしいです。

それであれば、信長が勝つのも、納得いきますよ~。


まあ、事実は分かりませんが、

歴史なんて、が多いということですね―。

 

広告を押して申込↓

宜しくお願いします (^_^)