孤高を気取る

ひとりで孤高を気取っているよりも、まわりの人びとと共に

進んだほうがよいでしょう。


まわりの人が、全員狂っているならば、自分も狂っているほうが

安心かもしれません~。


大事なのは、時代の流れに合わせて生きることです。


自分ひとりが、まともなつもりでいても、世間からは変人扱い

されるというのが一般的です。


ですから、何も知恵もないか、知恵のないふりをする人が、

ときによっては、いちばんの知恵者だということになりますね。


この世界の人は、大多数において無知の人たちかもしれません。

そして、人は他人の中で生きていかなければいけません。


全くの野蛮人であるか、神にも匹敵する優れた特性を備えた

人でもなければ、たったひとりで生きていくことなどは、

とうてい不可能です。


また、自分ひとりが愚か者とみられるくらいなら、大勢の人と

共に賢明に生きたほうが、よいともいえるでしょう。


おかしなことに、我々のみのまわりには、さも賢人気取りでいな

がら、実際は途方もない妄想に取りつかれているのみという

手の施しようもない愚か者もいるものです。


孤高を気取るのは、やめましょうね。

 

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反省のある毎日

反省をするということは、ある意味利己で満たされがちな心を

浄化しようとすることですね。


利己的な思いを少しでも抑えることができて、また反省

することで自らを戒めることができれば、人が本来もって

いるはずの美しい利他の精神が、心の中に現れてくると思います。


ただ、この反省は一度すれば大丈夫というわけではありません。

繰り返し実行することが必要です。


毎日、反省をするということは、当初は理屈で考えてやっていた

ことが、次第に慣れていくように感じます。


こういった習慣を持つことは、禅の修行をするのと同様の効果

があるのでないかと思います。


心を純粋にする努力を絶えることなく続けて、反省を重ねる

ことにより、徐々に高い精神性を身につけることができる

ようになるのでしょうねー。


人は、誰しも完璧ではありえません。

時によっては、間違いを引き起こしてしまうものです。


ですから、その都度素直に反省して、再び同じ誤りを犯さない

ように一生懸命に努めていくことが大切でしょう。


その日々の繰り返しが、少しずつ人の品性を高めてくれる

のではないでしょうか。

 

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覚悟を決める

人の重荷というのは、短絡的に下ろそうとすれば、だいたいその

人の人生を崩壊させるように社会の構成は出来上がっているものです。


全員がその宿命を背負って生きているのであるから、やたらな場所

に、自分だけ勝手に下ろしてはいけないということです。


社会的に避難される言動ばかりでなく、一般的な個人的な状況や

境遇についても同じことです。


その場合は、とても困難な事になるでしょうが、結局は、覚悟

決めることでしょうね。

どんな覚悟かと言えば、その問題からにげないという覚悟です。


背負うつもりになって、自分がとるべき責任から絶対逃げない

という意識が必要です。

そうすれば、不思議なことに解決策が見えてくるものなのです。


なぜこう考えられるのでしょうか。

それは、どんな問題でも、その解決方法には一つの決まり

があるのですー。


自分に解決できない問題は、自分には降りかかってこないのです。

これは、裏返すと、自分に降りかかってきた問題は、必ず自分

で解決できるという法則です。


ですから、決して逃げないで、覚悟を決めて受け入れる

しかないのです。

 

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つらいいやな物事

いやなことやつらいことは、なるべく思い出さないようにした

ほうがよいですね。


まあ、こんなことを言えば、それができれば苦労はないと、

言われそうですが人の心の中には、そういったメカニズムが

用意されているのです。


ですから、自分に都合が悪いことやつらいことは、極力心の

奥底にしまい込んで、思い出さないようにすることです。


そういった努力を繰り返していくと、それが習慣になって

いくものです。


感情を後に引かない人は、先程けんかした相手とすぐにあっさり

として笑いながら話していることがあります。


いやなことはさっさとわすれることやすべての物事をくよ

くよ考えないということを意識的にやっていくと、

こういう性格が身につくのです。


その時々でことなるでしょうが、悩みや苦しみの絶対量は

変わらないと言われます。


一つの悩みが解決すれば、別の困難な苦しみが出てきます。


苦しみも同様で、受け止めかたしだいで、心に受ける分量が

変化するのです。


人の心の中には、悩みや苦しみを軽減するメカニズムが

あるのですから、それを有効利用することが重要ですね。

 

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あいまいなこと

日本人の行動様式や考え方が、自分たちと異なるとして、外国人

の人から批評を受けることがよくあります。


代表的な例として挙げるとすれば、日本人のあいまいさ

対する批評だと思います。


そのことを指摘されると、我々日本人の中からも言われる主張

があります。


例えば、以心伝心とか阿吽の呼吸とかいうのは、日本人にしか

通用しないものである、とかイエスとノーがはっきりと言えない

から外国人に誤解されるのである、などの反応が決まって

起きてきます。


日本人の中には、本当にそのように感じている人が

思ったよりも少なくありません。


でも、日本人のあいまいさは、ヨーロッパ人やアメリカ人から

指摘されるような、いわゆる欠点なのでしょうか?


結局のところ、そういった欠点をしかたなく受け止めて、

劣等意識を持たなければならないのでしょうか?


私的には、そんな風には考えていません。

彼ら、ヨーロッパ人やアメリカ人たちが言うあいまいさ

こそが、日本人特有の天性であるに違いないからです。


それから、

大げさに言えば、人類文明の発展と存続のために大いに

役に立つものであるとも思うからです。


このあいまいさを、ある意味大切にしたいですね。

 

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極端な生き方

自分のことしか考えていない人は、何を見ても都合よく自分の

ものにしたくなるものです。


快適な暮らしを支えるものは、すべて手放そうとはすることは

ありません。

それに、どんなささいなことでも人に譲ることはありません。


人のためにだけ、あるいは自分のためにだけ生きるということは、

どちらにしても愚かな生き方で、辛い生活を送ることになりますね。


ただ、自分の幸せのみを頼みとして、言いようのない安心感に

浸かっているのです。

こういう人は、人に好かれるわけがありません。


ときによっては、人のためにだけ尽くしてみるのがよいでしょう

そうすれば、人も親切にしてくれるものですー。


また、色々な人の中には、ただひたすら人のためにだけ生きて

いる人もいます。


例えば、愚か者は、行き過ぎたことをする傾向にありますが、

行き過ぎも不幸としかいいようがないと思いますね。


この種の人には、一時間どころか一分たりとも自分の時間がない

ものです。

そうやって、ひたむきに人のために奉仕をしているのですね。


あなたは、どちらの生き方をえらびますか?

 

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人を評価する

人は、何とかして自分も認められたいと思うものですね。


それには、人の良いところを見つけてほめることです。

そうすれば、目が高く、趣味の良い人だという評価を受けるよう

になるでしょう。


他の人の良い面が分かると、別の人の同様の美点にもすぐに

気がつくようになるものです。


このようにして、目を肥やして、人の良いところを見逃さない

ようにしていくことです。


人をほめるということは、格好の話題にもなりますし、その場に

いてその話を聞かされた者は、自分も真似てみようかという考えに

なるものです。


人が集まった場所でそういった話をすれば、その場に同席していた

人は、自分を省みて間違った行いを正そうとするものですね。

これは、人々に礼儀をうながすのには、手際の良いやりかたですー。


中には、それとはまったく反対のことをする者もいます。

その場所にいない人の陰口を言ったり、いつも人のあら探しを

したりして、同席者に関心を呼ぼうとする人です。


人の陰口を言う者は、別のところにいても同じような話を

しているものです。


そこでの陰口の標的になっているのが、自分ではないという

保証はありませんから。

 

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