他人評価と自己評価

どんな評価であろうとも、人を評価するというのは、

その人の主観的な部分を、必ず含んでいると思います。


純粋に客観的な評価などは、ありえないといえるでしょう。

本来、自信をもっている人は、他人がどう評価しようが、

ほとんど関心をもっていませんー。


ですから、自分の評価は、自分でするべきです。

学生は、成績評価から、

また、サラリーマンは、経営者側の査定から逃げることはできません。


このように、実際は、本人の好むと好まざるを問わず、

誰しも他人からの評価を受けます~。


他人評価自己評価のギャップがあったときは、

その時は自分評価を尊重すべきだと思います。


自分で自分をしっかりと評価する習慣をつけていないと、

自主独立や自尊心の精神が育たないということになるでしょうねー。


試験型秀才というのは、他人評価をそのまま自分の評価として、

きているのが大半です。


なぜなら、誰でも調べれば学べれるような知識を、

頭に詰めこんでいるだけなのに、自分は周りの人間よりは、

すぐれていると誤解しているからです。


こうしたことから、学生時代の頭の良さなんて、

程度がしれています。


こうした誤った自己認識を持たないためにも、

他人評価を気にしないで、自己評価をひたすらくりかえす

ことが大切でしょうね。


それによって、己が磨かれていくのだと思います。

 


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草食動物と肉食動物

西洋の人達は、例えは、おかしいかもしれませんが、

肉食動物ですね。


我々日本人は、草食動物です。

草食動物は、非常にやさしく、目の前に同種類のものが

あらわれると、向こうに行けと追い払うことはしないで、

全部仲間にしてしまいますね~。


肉食動物は、同種類のものがあらわれると、

決まって追い払います。


戦い、争って、自分の縄張りを死守しようとします。

肉食動物の人達の教育の基本は、他よりも抜きんでること、

競うことだといいます。

その生き方をしなければ、生きていけないという考えです。


その価値観を時の明治政府が、日本に持ち込んできたのですー。


結果として、元々草食動物であった日本人の中に、

肉食動物の価値観が取り込まれ、大きなギャップが

発生することになりました。


日本人の体の中に、比べあうこと、競い合うことが

入ったために多くの人が、病気を発症するようになりました。


日本人は、本来、和を大事にする民族であって、

比べあって生きる動物では、ありません。

競うことばかり追いかけていくと、やがては体が嫌がって

しまって、ついには、滅びてしまうようですよ~。


日本は、同種のものを仲間として、おとなしく、おだやかに

生きていく魂や性格が集まる国であります。


それが証拠に、平和の和と書いて、国名で大和を

表しているのです。


和の精神をもって、日々をすごすことが大切なことですね。

 

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MADE IN JAPAN

あるメーカーの前進である東京通信工業が、

初めてトランジスタラジオを完成させました。


そこの社員の盛田昭夫氏は、新製品を持って、ニューヨークへ

売り込みに行きました。


ある日、商談が入りました。


大手の会社であるブローバ社が、10万個の注文をだすが、

ブローバ社の商標を使用することを、条件に申し出てきました。


のどから手が出るほど、欲しい大きな商談ですね。


ところが、他社の下請け会社には、絶対にならないと

決めていた盛田氏は、はっきりと断ったそうですー。


その時の話は有名な内容ですが、


「50年前のあなたの会社のブランドは、今のわが社のように、

知られていなかったと思います。

私は、わが社の新製品と共に、これからの50年後へ、

踏み出そうとしています。

50年後には、現在のあなたの会社には、

負けないような有名な会社にして見せます。」


事実として、50年とは、いわずにまもなくして

そのメーカーは、世界中にその名をとどろかすことになるのですー。


その企業名は、MADE IN JAPANの代名詞である、

SONYであります。

SONYを筆頭に、やがて日本のメーカーは、コストパフォーマンスや

品質において、世界中より高い評価をうけました。


盛田氏は、日本に、MADE IN JAPANというブランドに、

強い自信と誇りをもっていました。


今一度、MADE IN JAPANとは、

何なのか、その意義を考えみる必要性があると思います。

 


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失敗は成功のもと

本気でかなえたいと、心の底から思うことがあって、

試験に、30年、40年かかってでも、たとえ10回、20回もっと

失敗してでも、そのを追い求めてゆく人がおりました~。


訴訟が多い昨今では、事故や犯罪が多く、多少の事でも

裁判になることがよくあります。

結局、弁護士が必要になり、その数も必然的に多くなります。


当然のことですが、弁護士になるには、司法試験に合格

しなければなりませんが、近年の試験の難しさは、顕著だと思います。


ある人物は、大学を卒業してから、25年間、

司法試験を受け続けました。

毎年、受験し続けて、47回も失敗しましたー。


そして、とうとう48回目で合格したのです! 

そう、彼は、をあきらめなかったのでしたー。


自分のをどこまでも、追い求め、いかなる試練があっても

あきらめることはなく、

最後まで、限界まで努力する人は、ゴールで待っている勝利の神

にこう祝福されることでしょう。


「おめでとう。もう、これ以上あなたに努力させることは、辛くて

見ていられないよ…。お祝いとして、その汗や血の分だけの

喜びを上げましょう。」


限界まで、を持って、あきらめず努力をしたいですね。

 

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バッティングセンターの打込み

継続は力なり

よく聞きなれた言葉ですが、この言葉を座右の銘としている人は

多いと聞きます。


その一人に、現在メジャーリーグで大活躍する大スター、

鈴木 一朗氏がいます。


ある有名な文章が残っていて、そこから今のイチロー氏の活躍を

見いだせる重要なヒントがあるといえますー。


それは、小学校3年生の時に、本格的に野球を初めてから中学の

卒業迄の7年間に続けたことがあります。


有名なことなので、知られていることだと思いますが、

ほぼ毎日バッティングセンターに通い詰めて、機械を相手に

1000本以上の打ち込みを続けたという事です。


休んだのは、正月の2日間だけて、他の日は毎日バッティングセンターに

通ったということでしたー。


その後、高校生になっても、プロとなってもこの習慣は変わらずに、

続けたわけです。


「完璧になれないと分かってはいますが、それにむかって突き進んで

いく人間でありたい」

イチロー氏の「継続」は、中断することなく進展していきます。


イチロー氏こそ「継続は力なり」の意味と重要性をそのまま実践している

典型例だと思います。


栄誉や名誉を十二分に欲しいままにして、一流選手として

のキャリアのトップに存在しているすごい感のある人であります。


イチロー氏を見習って、継続して、進化していく人でありたいですね。

 

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ソウルとブルース

世の中には、たくさんの音楽がありますが、

例えば、ブルースを取り上げてみた場合に、当の黒人自身は

どう思っているのでしょうか?


そんなことを考えていたら、ある人の言葉に回答がありました。

それは、ブルースは、いろんな方面に影響力をもっているとのことです。


例えば、歌を聞いての結果についてですが、黒人がブルースを聞くと

何か自分の心の奥深くに、何か触れられることになるんでしょうねー。


他方、ソウルミュージックは、現在は自分が黒人であることを誇りと

する音楽となっている状況のようであります。


それが原因ともなって、若い黒人の多くは、ブルース

ほとんど耳をかさないでいるようですよー。


しかし、ソウルが新しい黒人の音楽であることは、

確かであるようですが、若い人達が酒などを飲んだ時の態度を

よく見てみれば分かるといいます。


ブルースは、嫌いだと言いながら、酔ってくると、

ブルースべったりになっているというのであります。


黒人が、切っても切れないでいるそのブルースとは、

いったいなんでしょうか?


また、我々日本人にも訴える共通性、

普遍性を持っているのはなぜでしょうか?


そんな事を思いめぐらせた今日でした~。 

 

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チキンラーメンとカップヌードル

 終戦直後、大阪の梅田での焼け野原で、一杯のラーメンを求めて、

大勢の人たちが、長い行列をつくって並んでいました。

この時こそ「食足りて、世は安らか」という言葉を、

実感した人がいました。


また、GHQがパン食を推奨した広告について、

もともと日本には、めん食の伝統があるのに、どうしてめん食を

推薦しないのだろうか。と強く疑問を感じたことです。


この理由を厚生省に尋ねると、「めん業者は零細企業が多く、

供給面で問題があるからだ。立派なことをいうのなら、

自分でやってみせろ。」とつっぱねられたといいますー。


その後、この言葉を忘れずに、反骨精神を持って裏庭に建てた小屋で、

湯を注ぐだけで食べられる容易いラーメンを、作りはじめました~。


そして、1年後の1958年に「チキンラーメン」と名づけられた、

即席ラーメンが、完成しました。その制作者は、安藤百福氏であります。

販売を開始すると、またたく間に、日本全土にその名称が、

知れ渡っていきました。


イオニアとしての安藤氏のプライドは、1971年に次の商品である

カップヌードル」を誕生させているのです。


今や、世界商品となった日清食品カップヌードルは、

こうした経緯があったのですね~。

 


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